【お墓参り】コロナ禍で激変!?

うーものつぶやき

久しぶりのお墓参り

全国的に緊急事態宣言があけ、先日うーもは約2年ぶりに実家に帰省しました。

ずっと行けなかったお墓参りにやっと行くことができました。

母と一緒にお花屋さんで生花とお線香を買い、墓前にお供えをした後にふと周りを見回したところ、、

なんと、どのお墓もとってもカラフルじゃないですか?

皆さんまめにちゃんとお墓参りしてるんだな、えらいな!

なんか違和感があり、よく見てみるとほとんどのお墓は造花だったのです。

墓前は生花の方が良いの?

造花だらけのお墓を見た時、正直うーもは最初ちょっと残念な気持ちになりました。

偽物のお花なんてご先祖様に失礼なんじゃないかな、と思ったからです。

ちょいちょいお墓参りに来ている、母に聞いたところお寺の住職さんからも生花ではなく造花にするよう言われたようなのです。

なんで??

全体の見た目をきれいにしておきたいからお寺さんとしてはそんなこと言ってるだけではないの?

それはちょっと違うんじゃないの、と、うーもは何か違和感がありました。

後でいろいろな人に聞いたりネットなど調べたのですが、結論、「大切なのは供養の気持ち、お墓にお供えする花は造花でも問題ない」という事でした。

そうなのか。。

コロナ禍でなかなかお墓参りに行けない

2年前にお墓参りした時の事を思い出してみると、その時は造花はほとんどありませんでした。

うーもみたいに、家族が近くにいてお墓参りできる環境ならばよいけれど、遠方にお住まいでコロナ禍でお墓参りに行きたくても行けなくなってしまったご家族が多いんでしょうね、きっと。しばらく来れないかもしれないならせめて造花を、というご家族のお気持ちが何となくわかりました。

ご先祖様を大切に思う家族は多いんだな(´;ω;`)ウゥゥ

そう考えると、造花のありがたみが少し理解できました。

ところで、仏教の真理の一つに【諸行無常】というのがありますね。

本願寺出版社「くらしの仏教語豆事典」より転載

諸行無常は人生のはかなさ、生命のもろさそしてときには死を意味する言葉として、日本人になじみの深い語句となっています。しかし、本来、諸行無常とは、この世のものはたえまなく変化し続けているという事実を、ありのままに述べたもので、仏教の真理の一つなのです。人が死ぬのも無常ですが、生まれるのも無常、成長するのも無常だというのです。不幸な人が幸福に恵まれるのも無常なのです。
 万物ばんぶつ流転るてんしています。だからこそ、努力するのであり、一刻一刻が貴重なのであり、限りある命を大切にするのです。

人はいつか死ぬ、花は必ず枯れる、「枯れる生花をあえて供えるべきだ」という考え方が、もしかしたら日本人の根底にはあって、できれば生花を供えてあげたいと考えている人もきっと多いのかもしれません。

うーももできるだけ自分で生花をお供えできればいいなと思ってます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました